尊敬する人は誰かと聞かれたら、たくさんいるような、そうかといって1人を挙げられる感じもしない中にあって、「人生で影響を受けた人」を挙げるなら、本多静六さんがその1人ではないかと思う。
本多静六さんは1866年生まれ、昭和27年没(85歳)、日比谷公園や明治神宮など日本全国の公園の設計改良に携わった林学・造園家。貧しい家に生まれながら、苦学を経て人生の後半には莫大な富を築き、匿名で数多くの献金をされたという、投資家・篤志家としても名高い方です。
生前に376冊もの本を出版されていたということですが、その内容は専門の林学関係にとどまらず、人生の計画の建て方や資産形成、暮らしについてなど多岐に渡って自身の知恵を公開。私も何冊か手に取ったのですが、その中で最も感銘を受けたのが「私の生活流儀」でした。
「人生とか生命とかについて、本書は別に、深淵な哲理を説いてはいない。また私自身がそうしたものを説く柄(がら)でもない。諸君にしてもし、直接これを本書に求められるならば、おそらく大きな失望に終わるであろう。しかし、私は、われわれの小さな日常生活の心掛けのうちに、大宇宙の生命に通じ、神ホトケの摂理にかなうものがあるを信じ、努力また努力、精進また精進につとめつつあるのであって、それがいかに卑近、それがいかに平凡であっても、その実践がただちに深淵高大な哲理につづくものであることをうたがわない。読者諸君もまたぜひ十分これを理解し、感得せられたい。日常こそ、平凡こそ、実は 我々に最も大切な人生のすべてなのだ。」
…とまあ、最初のところからガツンをやられてしまう。コンパクトな一冊の中に名言が散りばめられているので、どこのどれが良いと挙げるときりがなく、また、これまでに何度も読み返し、その度に新しい発見があるのでした。
本多静六さんの生活に対する目線は常に合理的で無駄がなく、ブレない。大学で強弁をとったり日本の環境事業に携わるなどの高名な役職にあった方が、トイレのチリ紙は新聞紙をやわらかくして使い、客人にだけいい紙を使ってもらうといったことを書いておられる。靴下や下着を何度もつぎはぎして使い、買い物にでかけたら買ったつもりで帰る、庭の鑑賞は公園に任せて家庭菜園を趣があるといって楽しむ、家を建てるときは将来他の家族に貸しだすことを考えて最初から2階にも水回りを整えるのが良いといった具体的な知恵もあふれている。世間体や時代の主流に傾かず、暮らしのすみずみにまで行き届いた独自の生活理念が面白い。
「…だから私は、すべての生活改善は、まず住宅改善からといいたいのである。
いずれにしても、我々日本人の身辺には、あまりに用もないガラクタが多過ぎる。このガラクタを思い切って追放し、できるかぎり整理しなければ、われわれの日常生活はすっきりしてこないのである。ガラクタの中に埋まりつくしていて、全く文化生活なぞ、ありえようはずはないではないか。そこで居住の単純化は、また身辺のガラクタ征伐から始めなければならぬのである。」
「いかなる苦痛もこれを耐え忍びさえすれば、たちまちそこに楽地を発見する。ここで私は、常に人生を楽観したユーモア生活にこそ、大きな救いがあることを悟った。(中略)苦も、楽も、喜びも、悲しみも、ユーモアでふんわり包むのだから 面白いのである。」
私は、この本多静六さんの思想・知恵に触れてなにか一つでも実行してみた人と、全く知らないままに生きる人とが得るものは、人生の後半に大きな差をつけて迫ってくる のではないかと感じています。
★「私の生活流儀」と同じくらい内容が濃く、何度も読み返したいと思う「私の財産告白」のほうもおすすめです。