私の母が何度も話してくれた、母の祖母、私のひいおばあちゃんの話です。
大家族の長女として生まれた母は、厳格な祖母に幼い頃から家事を仕込まれ、毎朝2~3升(20~30合)の米を炊くのが日課でした。母は昭和20年代生まれ、2023年現在は70代。田舎者からも「ド田舎者」と言われる山奥で生まれた母の生家に炊飯器などなく、小学生だった母は重たい洗米を羽釜(はがま)に入れ、かまどで薪をもやして毎朝米を炊きました。おかげで、火の扱いはとても上手だというのがささやかな自慢話。弟や妹もマキ割りや薪(たきぎ)ひろい、掃除や洗濯など、子どもであろうと幼かろうと関係なく、家族の一員として祖母から様々な仕事が割りふられていました。母が就職のために家を旅立つ前日まで山で薪を拾わされていたという話からも、一切妥協しない曾祖母の厳しさを感じます。
そんな炊飯係の母に祖母(母からみて祖母)はいつも、「ひとつかみの米をよけておきなさい」と語っていたそうです。「米1升でひとつかみ、米2升ならふたつかみ、3升炊くなら3回つかんでよけておけ」と。毎日毎日、少しずつよけておけば、それはいつしか1回分のご飯になるのだと。祖母は米に限らず、豆でも麦でも洗剤でも、「ほんの少しだけよけておく」ということを家族全員に徹底させていました。そうして小さな倹約を積み重ね、お金がたまると近隣の山林を次々に購入。「おばあちゃんが銀行にいくと、帰りは必ず銀行員が車で送ってくれていた」という母の話から、その当時かなりの資産を持っていたことも伺えます。そんなド田舎資産家の末裔(まつえい)がその後どのように没落したかはまた別の話にとっておいて、今回ははこの「ひとつかみの米」について。
子どもの頃から何度かこの話を聞かされていた私は、長い間「そうなんだ」「すごいね」と思うだけ。18歳で一人暮らしを始めたときに、実際にやってみたこともあります。ひとつかみの米をよける。「まあ、ほんの少し、節約になるね」という程度。その後、数年間のサラリーマン生活を経てフリーランスになり、結婚して離婚してひとり親家庭として子どもを育てながら働くようになっても、まだ、曾祖母の言葉の意味が私には腹落ちしていませんでした。それは心のどこかで、「人生なんとかなってきた」というのんきな安心 があったからです。
ところが、50代が近づくにつれ、ゆっくりと未来への雲行きが怪しくなり始めました。いつまでも今の仕事が続く保証もなく、サラリーマンのような安定収入でもない、自営業の年金では老後が厳しい、子どもの自立まではまだ10年近くある…そろそろ、なんともならないかもしれないと自分の現状の深刻さがわかってきました。ハハハ、…だいぶ、のんきでしたね。
今までお金について真剣に考えてこなかった過去を反省し、人生で一度、真剣にお金と向き合ってみよう、と決めました。そこでまず手始めに、たくさんのお金にまつわる本を読み始めました。倹約や投資、金融や経済、マネーリテラシーをあげてくれる本など、ジャンルを問わず100冊以上読みました。その中で学んだことのひとつが、「考えることと、それを行動に移すことには大きな違いがある」というものでした。
誰でも、考えることはします。誰かの素晴らしいアイディアを聞いて、「私も同じこと考えてた!」などと思ったりもします。しかし、多くの人が「思う」「考える」ところまではやるけれども、実際に行動に移してみるところまでいきません。私は、未来を少しずつより良くしていくためには何をすればよいか…と考えたときに、母が何度も話してくれた曾祖母の言葉を思い出し、一度ちゃんと計算をしてみよう、と思いました。
お米1合は、150g。ごはん1升は、1.5kg(1500g)。私の手で、ひとつかみの米をにぎって計ってみました。19g。にぎり方によって誤差があるかもしれないと再度計ると17g。 子どもの頃の母の手ならもう少し小さいから13~14gくらいか…と、ちょうど当時の母くらいの年になった12歳の娘のランちゃんにも協力してもらい、親子で「ひとつかみの米」を10回それぞれ測ってみました。
娘の手で10回つかんで平均値を出したところ、13.9g≒約14g。
次に、1升1500gの米のうち、わずか14gをよけておくと、何日目になったら、よけた米だけで1升の米が食べられる日がくるのかを考えてみました。
1500gのうちの14g、子どもの手ひとつかみの米は0.94%。ここで1%だったら、100回ご飯を炊いたら、101回目は、よけた米だけで食べられる、ということになると思いますが、0.94なので、次に、0.94%が100%になるには何回目かを考えます。
106.38…ということで、107回ご飯を炊いたら、108回目はよけておいた米だけで1升のご飯を食べられるとわかりました。これは2升炊くときは2つかみ、3升炊くときは3つかみなので、回数としては同じことだと考えます。(合ってるかな…(笑)ちょっと算数弱いです)
この、108回目というのをもう少しわかりやすく1年で考えると、
…ようするに、1年で3.4回、よけておいた米だけで家族みんなが食べられる日があるということです。なるほど、1年で3回と半分か。これを多いとみるか、少ないとみるかですが、長期目線でも考えてみました。
1年、2年だとわずかに思える回数も、10年という長期でみると、よけておいた米だけで10年目に一ヶ月過ごせる日がやってくる ことがわかりました。ここまでくるとさすがに、「たかがひとつかみの米」とは言えません。そもそも、曾祖母が倹約していたのは米だけの話ではありません。食べ物から洗剤から、ありとあらゆるものにおいて「ほんの少しよけておく」精神 をはりめぐらせる暮らしをするわけです。
さて、これは8人家族だった母の子どもの頃の話であって、今の私とは条件がずいぶん違います。私は現在、娘との二人暮らし。ご飯は毎日、1~2合しか炊きません。娘は平日は給食があり、私は昼はパスタやそうめん、パンや朝の残り物で済ませるなど、昼に米を食べないことが多い。わずか1~2合(150~300g)の米からひとつかみ(14g)よけたら減りすぎるので、ここは同じ比率を減らすとどうなるのかを考えます。
ここではざっくり計算しやすいように、0.94%ではなく、1%で考えてみます。毎朝1合炊く時に、1%の米をよけておく、つまり150gの米のうち、1.5gをよけておくという考え方です。2合炊く時は3gよけておく。そうすると100日で1合分になるので、101日目は、よけておいた米だけを食べられます。
1.5g……うーん、小さい。とてつもなく小さい。8人家族だった母の子ども時代とは比較にならないほど、私の今の暮らしの倹約における数字としては、小さく思える。
ここまできたら、1.5gの米を測っておきましょう。「ひとつかみ」どころか、「ひとつまみ」、指3本(親指、人さし指、中指)でつまむくらいの量です。
せっかくなので、数えてみました。72粒。なるほど、なるほど、そうか、米1合の1%は70粒前後 かあ…(発見)!
…で、私がこの結果から思ったこと。それは、曾祖母の生活理念は「複利」に似ているな、ということです。複利とは、資産運用でよく使われる言葉ですが、増えた利子を元本に組み込んでさらに利益が増えていくことです。よけておいた米はもちろん増えないのでそれはシンプルな倹約であり、「複利」とはまた話が違うのですが、ちいさなことを積み上げていくと長期的には大きなメリットになる ところが共通していると感じました。
一升の米からひとつかみが消えても、母の家族に損失感は全くなかったと思いますが、1合の米から1%(あるいは母のように0.94%程度)よけたところで正直私の暮らしも大差なさそうです。それならひとつ、曾祖母の背中を追いかけてひ孫の私もやってみようかな。もちろん米だけの話ではありません。暮らしの細部に至るまでこの考えを浸透させてみる、これが、今回ブログを始めようとみようと思ったきっかけのひとつです。
一週間に100分使って日々の暮らしについて書く。心の整理にもなるし、頭の体操にもなる。お米を1%よける、洗剤を1%節約する、時間をほんのちょっととりわけて、ちょっと書いてみる。ゆっくりとつみあげた先にどんな「複利」があるのか、これから気長に楽しんでみようと思います。
これから発信する雑記ブログ「たまごどん」は、私(マイ)と娘(ラン)とのささやかな日々の暮らしの研究と実践をつづっていきます。ワードプレスに不慣れで何をどうやったらよいのかがわからないので、とりあえず文章を書きながらゆっくり仕上げていきます。特にアイディアも知識もなく四苦八苦だけして一ヶ月が過ぎ、「いいかげん、なんでもいいからさっさと始めなよ!どうせ誰もみてないんだから!!」と娘から尻をたたかれました。はい、そうします…。
2023年6月28日
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