2023年7月12日、おはようございます。
今日の朝ごはんは、何を食べましたか。私はこの文章を、朝ごはんを作る前の朝5時にいま書いています。このあと更新をしてから、白ごはん、味噌汁、そして簡単なおかず2品をつくる予定です。
今日は、娘から言われた言葉を忘れないためにも書いておきます。
昨年、娘からこんなふうに言われました。
「さいきんのママのごはん、おいしいよ。おいしいんだけど……なんか、たべおわったあとで、モヤモヤするんだよ。」
最初は何を言っているのか、よく分かりませんでした。
娘:なんかね、レストランみたいでおいしいんだよ、毎日。おいしいなって思うんだけど……。
私:……なにがだめなの?
娘:最近のごはんは、レストランのたべものみたい。おいしいけど、それって、コンビニのごはんを食べてるようなものと一緒なんだよ。あのね、おうちのごはんはね、「わーおいしい!」って思いたいんじゃないんだよ。一日のおわりに、ごはんをたべて「ほっ」としたいんだよ。
離婚騒動の渦中にいた数年前は、仕事をしながら子育て、家事をこなすという毎日に必死。一瞬でも気が緩むと今の暮らしが転落してしまう、というプレッシャーが常にありました。日中は必死で仕事をして、保育園から戻っても、食事作りが待っています。ところが直前までを仕事しているため、お腹をすかせた娘の夕飯の準備は一切できておらず、そこから細やかに気を配った料理をする余裕がありません。作って食べさせて片付けて、となると自分の体力的負担も大きいので、当時は週に1~2日、お金がかかっても外食で済ませてやり過ごしていました。レトルトや冷凍食品、お惣菜で済ませたいのですが、味覚過敏の娘はそういったものを受け付けてくれず、飲食店の中でも「こことあそこはいい、でもここはだめ」といったことがたくさんありました。そのため、私自身がクタクタでこれ以上頑張れない、というときは、手近な飲食店にかけこんで一時的な娘の必要を満たすのが精一杯。新しい街で暮らし始めたばかりの頃は、「美味しいお店さがし」に新鮮さもあり、「今日は外で食べよう!」と言ったら「やったー!」と言ってくれていました。
しばらくして暮らしが落ち着いてきた頃、ようやく節約に取りくむ時間的、精神的なゆとりができました。そこで、娘がよろこぶ美味しい家ごはんづくりにエネルギーを注ぎはじめました。
娘の味覚過敏についてはまたどこかで書こうと思いますが、一度舌が外食の味になれてしまうと、家でもレストランのような晴れ晴れしいおかずがないと物足りないような気分になります。ここから節約に本気を出そうと考えた私は、「レストランのような味が家で出せたら、外食したがらなくなるはず」と考え、プロの料理人が出している料理本に手をのばし、手近な素材でそれなりの美味しさをだすための研究をはじめました。どうすればより肉が美味しく焼けるか、娘が好きなお店のスープの味を出すにはどうしたらよいか。「美味しい」と言ってもらえることが、正解だと思ったのです忙しい合間に自分にできる範囲で少しずつ、家庭料理のレベルアップにいそしみました。
やがて、外食をしたいという娘の発言は減りました。家ごはんが充実してきた結果だなと思って喜んでいたのに、娘からつきつけられたのは、「それはコンビニ弁当と一緒」という痛烈なもの。
私は言われて初めて、家庭料理が目指すところは、「美味しいごはん」ではなく、『ほっとするごはん』なんだな、と気づきました。
朝は、一日のはじまりに気持ちが前向きなるような朝ごはん。夜は「おつかれさま」と一日のがんばりをねぎらってくれるような「ほっ」とするごはん。休日は「家のごはんが大好き」と言ってもらえるような、食べることが楽しくなるごはん。それが、私の今の目標です。