今日は、中学生の頃に出会い、人生の節々で思い返す大切な一冊を紹介します。
『モモ』 ミヒャエル・エンデ著
1973年に出版され、世界中で読み継がれるベストセラー。映画化もされ、私が手に取った時には既に15年が経っていました。田舎の小さな図書室で見つけたこの本を、当時中学生の私は夜遅くまで夢中で読み進め、最後のクライマックスでは感動のあまり本を閉じて「すごい…」と声を漏らしたのを覚えています。
それから気づけば、あっという間に30年が経ちました。
『モモ』は、人間の時間を少しずつ奪っていく灰色の男たちと、それを取り戻そうとする少女モモの物語。数ある印象的なシーンの中で、特に心に残っているのが「白い地区」。
灰色の男たちに追いかけられながら、モモと亀は不思議な白い地区に入ります。「ねえ、お願い。もうちょっと早く歩けない?」とモモが亀に訴えると、「遅いほど、早い。」と 亀は前よりももっとノロノロと進みます。そこは、物事の秩序が逆転した世界でした。
「遅いほど早い」——亀のこの一言に、これまで幾度となく救われてきました。
人類が「時間」を労働単位として認識するようになったのは産業革命以降だといわれます。労働は「1時間いくら」という契約となり、私たちはそのシステムの中で生きています。
フリーランスとして働く私は、サラリーマンの友人から自由そうでうらやましいと言われることもありますが、報酬と労働時間が釣り合わないと感じることも多く、決して楽とは言えません。けれども、どんな働き方でも、「ちょっときついな」と感じながらベルトコンベアーの上を走り続けている——この感覚は共通なのかもしれません。
時間に追われる日々の中、私はふと子どもの頃の記憶を思い出します。陽が山に隠れると帰宅の合図。時計を見なくても、自然が時間を教えてくれた、そんな日々。
この30年間、「灰色の男たちに時間を盗まれているなあ」と感じることが何度もありました。今でも、「忙しい」と口にすると、まだ“灰色の男たち”に捕まっていない娘からたしなめられます。
「遅いほど、早い。」
ファンタジーの言葉にすぎないかもしれません。それでも私は、この言葉が現実に効力を持つ “白い地区” が、どこかに本当にあるのではないかと、どこかで期待しています。